モンテッソーリ教育

モンテッソーリ教育の考案者【マリア・モンテッソーリ】とは?

モンテッソーリ教育。

こどものいる方なら一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

将棋の藤井聡太さんもモンテッソーリ教育を受けていたことはよく知られていますよね。

そのモンテッソーリ教育を考案したマリア・モンテッソーリ。

いったいどんな人だったのでしょうか。

ここでは 彼女の生涯と子どもへの思いを紹介していきます。

 




マリア・モンテッソーリの生涯

わたしのモンテッソーリに対する第一印象はずばり「パワフル!!!」です。

いったいどんな生涯だったのでしょうか。

マリア・モンテッソーリ

1870年 イタリアに生まれる

1890年 ローマ大学に入学

1892年 医学を研究

1896年 障害児と出会い、教育者へと転身

1907年 ローマで「子どもの家」を開設。モンテッソーリ・メソッドを確立。

1952年 オランダで亡くなる

簡単にまとめましたが、それぞれのできごとが一本の映画になるくらいドラマチックです。

ではモンテッソーリの人生におこった大きな出来事を順番にみていきましょう。

ローマ大学に女性として初めて入学

女性初ということで苦労も多かったようです。

たとえば、解剖の授業では男子学生とは別の部屋で実施しなければならない、など いろんな差別や困難がありました。

しかし そんな逆境をのりこえ、女性としてイタリアで初めて医学博士号を取得しました。

成績はとても優秀で 110点中105点だったそうです。

どの分野でも 時代を先駆ける女性は すばらしく優秀でタフですね。

医師としてスタート

もともとは教育者ではなく、お医者さんだったんですね。

大学卒業後は精神科医としてスタートすることになります。

モンテッソーリは 被害妄想に関する研究で学位を取得したのですが、精神病の患者からデータをとって論文にしました。

そのため精神病院には学生の頃から関わりがあり、卒業してからもその精神病院で医師として勤務することになりました。

そしてここで モンテッソーリの人生を大きく変える出会いがあったのです。

障害児との出会い

精神科医として着任したモンテッソーリは 病院で障害児がひどい扱いを受けていることを目の当たりにします。

子どもたちの部屋の窓には鉄格子がはめられており、部屋の中は殺風景でまるで囚人部屋のようでした。

治療らしい治療はされず、ただ子どもを監禁しているだけという ひどい状態でした。

そこでまずモンテッソーリは子どもたちをじっと「観察」しました

「観察」することで、モンテッソーリは子どもたちのある行動に気がつきます。

モンテッソーリの気づき

普段うつろな表情の子どもたちがパン屑を拾うときはとても真剣にな

具体的にはどんな行動かというと

  • 目を皿のようにしてパン屑を探す
  • パン屑をみつけると腕を慎重にさしのべる
  • パン屑がつぶれないように指でそっとつまむ
モンテッソーリ
モンテッソーリ
この真剣な表情や姿が精神薄弱の子どもを変えるのではないか?

モンテッソーリが着目した子どもの行動を図解するとこのようになります。

目という感覚器官でみて 腕をさしのべ 指でつまむ。

わたしたちがあたりまえに感じる、というか普段まったく意識しない「動き」ですよね。

モンテッソーリはこの「動き」に着目しました。

医師だからこそ「科学」の視点で子どもの行動を「観察」し分析できたんですね。

ちなみに モンテッソーリ教育は「子どもを科学するメソッド」とも言われています。

この観察の結果、モンテッソーリはこう考えます。

モンテッソーリ
モンテッソーリ
感覚にうったえて「動き」をともなった活動を提供すれば

子どもは これまでとちがう姿を見せてくれるのではないか?

この考えでつくられたのがモンテッソーリ教育の「教具」です。

教具とは

さまざまな感覚にうったえて「動き」をともなう活動ができるもの

現在も国内外問わず、障害児の施設でモンテッソーリ教具をとり入れているところはたくさんあるそうです。

モンテッソーリはそれまでの障害児に対する常識をかえ、現在の「療育」という方法の土台を築いた第一人者でもあります。

それまでの一般的な考え

投薬、外科的な手段

によって治療

モンテッソーリが確立

医療からだけではなく教育視点からの関与
医療 + 教育 = 療育

こうして モンテッソーリは障害児の療育にさまざまな貢献をしていくことになります。

そんな中、ある考えがモンテッソーリの心を占めていきます。

モンテッソーリ
モンテッソーリ
同じように健常児にこの教育を採り入れたらどうなるのか?

ここから モンテッソーリの興味の先が少しずつ変わっていきます。

医師から教育者へ。

障害児との出会いが モンテッソーリを医学から教育学へと導いたのでした。

 

モンテッソーリが子どもをより深く理解するために大切にしたもの、それはやはり「観察」でした。

彼女は 成長の主体、教育の主体である子どもを知ることがなによりも重要と考えました。

子どもを知る最善の方法は 先入観なく 子どものありのままの自然な姿を「観察」すること。

そうモンテッソーリは書き残しています。

幅広い年齢の子どもを「観察」し続けると これまでとはちがった面をみることができました。

そして新たな発見をするのです。

子どもに対する新たな発見
  1. 「自己教育」
  2. 「子どもの世界」

まず1つめの「自己教育」とは どういうことでしょうか。

それまでの考えでは 子どもは大人(親や教師)によって教えられる、受け身の存在として考えられていました。

モンテッソーリが新たに発見したのは 子どもが発達の課題とうまく出会う環境を整えれば子どもは自分の力で育っていく、ということでした。

発達の課題とは そのとき身につけていくべき発達の段階のことです。

つまり 歩くようになる、文字をかけるようになる、といった発達の段階で、その発達をうまく引き出せる環境を整えれば 子どもは自分で成長していくのです。

自己教育力は 自己開発力、自己成長発達力ともいうことができます。

子どもは大人が教えなければならない存在ではなく、自分の力で育っていく能動的な存在ということなんですね。

 

2つめの「子どもの世界」とは どういうことでしょうか。

それまで 子どもは大人になるための通過点として認識されていました。

つまり 子どもの時期が重要視されていなかったのです。

当時 子どもは 大人の付属品のような扱いを受けていたようです。

モンテッソーリが「観察」によって発見したのは 子どもだけの時期(世界)がある ということです。

子どもの世界は 大人の世界とはまったくちがうものです。

だから 子どもの世界に見合った活動の場が必要、とモンテッソーリは考え 環境を整えていきます。

例えば、子どものサイズにあった家具を与えました。

それまでは大人主体で 大人サイズの椅子やテーブル、食器、道具を子どもにも使わせていいたのです。

子どもが大人用の食器や道具を使うとどうなるでしょう。

サイズの合わない道具を使わされる → うまく使えないので失敗する → 大人から怒られる → 自分の行動に自信がもてなくなる → 失敗をくり返す → くり返し怒られる

この負のスパイラルにおちいっていました。

子どもの世界を認めるならば 身体的にサイズのあったものが必要である とモンテッソーリは考えました。

子どもは自分にあったサイズの道具に出会うことで いろいろな活動の主人公になれるのです。

自分にも道具が使えるとわかると 子どもは自信がもてます。

自信がもてると情緒も安定して 自立した個人へと成長していけるのです。

 

それまでの一般的な考え
  • 子どもは 大人(親や教師)によって教えられる、受け身の存在
  • 子どもは大人になるための通過点

 

モンテッソーリの新たな発見
  • 子どもの発達の段階にあった環境を整えれば子どもは自分の力で育っていく
  • 自己教育力=自己開発力=自己成長発達力
  • 子どもは教えられて育っていくものではなく、自分の力で育っていく能動的なもの
  • 子どもだけの時期(世界)がある。子どもの世界 ≠ 大人の世界

「子どもの家」を開設

子どもを観察することで モンテッソーリ教育の原点となる発見をしたモンテッソーリ。

いよいよ自身の考える教育方法を本格的に実践する機会が与えられます。

ローマの貧困街で子どもを教育してほしいと依頼がきたのです。

行政当局も対応に困って 教育者として徐々に知られるようになっていたモンテッソーリに白羽の矢が立ったようです。

対応に困るとは…いったいどんな状態だったのでしょうか。

両親は働きに出て 昼間は街に子どもたちだけなので 好き放題、無法地帯だったようです。

あちこちに落書きをする、物を壊す、汚す、…などなど。

こういった たいへんな状況の街で 「子どもの家」を設立し 子どもたちの教育にあたっていきます。

「子どもの家」という名前の意味
  • 子どもたちの生活の主体は 子どもたち自身にある。
  • 主役は子どもである。
  • そこにあるものはすべて子どもサイズでできている。
  • 大人はそこにお邪魔して最低限の手助けをする。

いまではあたりまえに感じることですが 当時としては斬新な考え方だったようです。

モンテッソーリは ここでも子どもを「観察」し、子どもに必要とされている環境を整えていったのです。

そうすると 貧困街の子どもたちの行動は落ち着き、知能向上でもすばらしい結果がでたのでした。

オランダで生涯をとじる

障害児との出会い、「子どもの家」での実践を経て モンテッソーリ教育は確立されていきました。

その後 モンテッソーリ教育は世界各国で支持され 「子どもの家」も世界各地に設立されました。

モンテッソーリ自身も インド、アメリカなど世界各地でモンテッソーリ教育をひろめる活動をしています。

ちなみに アメリカには現在3,000以上の「子どもの家」があり、モンテッソーリ教育が導入されている公立学校も数百あるそうです。

まさに 世界一のモンテッソーリ教育大国です。

 

世界各地でモンテッソーリ教育の普及にあたったモンテッソーリは 1952年オランダで 81年の生涯をおえました。

 



マリア・モンテッソーリの思い

オランダ アムステルダム郊外の港町ノルトベイク・アン・ゼーにモンテッソーリの墓地があります。

その墓碑には こう刻まれています。

愛する全能の子どもたちよ

人間と世界の平和を築くために

私とともに尽くすようにお願いします

子どもの可能性を信じ、その人格と能力が最大限発揮されるために尽くした マリア・モンテッソーリ。

教育の大切さを感じるメッセージです。

 

マリア・モンテッソーリの生涯とその思いについて ご覧いただき ありがとうございました。

モンテッソーリ教育について体系的にまとめてみたので ぜひこちらも合わせてご覧いただけるとうれしいです。